「力道山の弟」(宮本輝)

父が十年、自身が二十年保存した「力道粉末」の袋

「力道山の弟」(宮本輝)
(「日本文学100年の名作第8巻」)
 新潮文庫

二十年前、
亡くなった父の手文庫の中から
見つけた「力道粉末」の袋。
それは少年の日の「私」が、
大道芸人から騙されて
買わされたものだった。
「私」は、父が十年、
自身が二十年保存してきた
その袋を、灰皿の中で
燃やす決意をする…。

先日、昭和の偉大なるプロレスラー・
アントニオ猪木の訃報が
日本中を駆け巡りました。
私の世代(昭和40年代生まれ)では、
プロレスラーといえば
アントニオ猪木です。でも、私より
二まわりほど年齢が上の方であれば、
それは力道山でしょう。

力道山そっくりな男が
「力道山の弟」を名乗り、
プロレスラー並みの筋肉をつくるという
「力道粉末」を販売し始めます。
少年の「私」は
それがどうしても欲しくて、
麻雀に夢中になっている「父」から
金券を盗み、それを譲り受けるのです。
案の定、それはまやかしもので、
それを飲んだ「私」は
ひどい下痢に襲われるのです。

【主要登場人物】
「私」

…語り手。「力道粉末」なる
 偽薬を買って失敗する。
 少年時代を回想する。
「父」
…「私」の父。人情家であるが短気。
力道山の弟
…人気プロレスラーの名を騙った
 大道芸人。
市田喜代
…「父」の友人の中国人・高万寿の妻。
 力道山の弟なる大道芸人と
 関係を持つ。
市田悦子
…喜代と大道芸人の間にできた娘。

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今日のオススメ!

幼い日の失敗を取り上げた「面白さ」と、
なんともいえない
ノスタルジックな雰囲気が、
前面に押し出されているのですが、
それは表面だけのことです。
味わうべきは第一節の最後にある、
「あの日の、父のあらぶる心と悲哀に
そっと手を添えて」
「この薄っぺらい一枚の袋に火をつけ、
灰皿の中で焼いてしまうことに」した、
その経緯と「私」の心情でしょう。
そこには
「悦ちゃんがあした結婚する」と、
前後の脈絡もなく挿入された
一文があり、
最後の第四節も、
亡くなる直前の「父」が
悦子を食事に誘った場面で
閉じられます。
読み味わうのは、
「私」が思いを馳せている「あの日の、
父のあらぶる心と悲哀」であり、
鍵を握っているのは「悦子」なのです。
作者・宮本輝は、巧妙な構成を施し、
巧みにそれを語っています。
本作品の構成は以下の通りです。

【本作品の構成(四説構成)】
第一節
 現在の「私」が二十年保存した
 「力道粉末」の袋を燃やす
 (昭和六十三年頃)
第二節
 市田喜代とその夫・高万寿との
 なれそめと破局(昭和三十年頃)
第三節
 力道山の弟が現れた一件
 (昭和三十三年頃)
第四節
 喜代の死と
 亡くなる直前の「父」と悦子の会談
 (昭和四十三年頃)

悦子は喜代と大道芸人の間に
生まれた娘で、
男は三日間だけ喜代の部屋に
寝泊まりしたあと姿を消したのです。
行きずりの男に身を任せて
子を宿した馬鹿な女と
受け取られそうですが、喜代は決して
そのような女性ではないのです。
作品には、喜代が真面目な性格の
苦労人であることが記されています。
「喜代は、高の恋女房やったんやぞ。
 あの、純で一途な、
 前途洋々たる中国人が、
 命懸けで好きになった女や」

決して軽はずみな行為では
なかったのです。
喜代が高と結婚したのは
日中戦争勃発の二年前ですから、
昭和十年頃です。
その頃に結婚の適齢期だったとすれば、
第三節の場面では、
彼女はすでに三十代後半、
四十に手が届くあたりだったはずです。
おそらく
子を身ごもる最後の機会であり、
喜代は意図を持って
大道芸人と夜をともにし、
その願い通り
悦子を授かったと考えられるのです。

当時、そのことに激高した「父」は、
喜代の経営する麻雀店を破壊し、
気持ちを収めるのですが、
なぜそこまで
しなければならなかったのか?

おそらくは「父」もまた喜代に、
何らかの思いを抱いていたのでしょう。
親友・高の妻であり、高の帰国後は
独り身を通した喜代に対し、
妻子があった「父」は
言葉にも行動にも
表すことはできないにせよ、
恋慕の思いを抱いていた可能性は
否定できません。
そうでなくては「父」が暴れた理由が
見つからないのです。
それが「あの日の、
父のあらぶる心と悲哀」であったと
考えられるのです。

悦子は喜代がシングル・マザーとして
育て上げましたが、
悦子九歳のときに病没、悦子はその後、
「父」の世話で親切な夫婦の養女となり、
そして結婚を迎えたのです。
「力道粉末」の袋を、
「父」が十年、「私」が二十年保存した、
その思いが、悦子の結婚により
一つの結末を迎えたということ
なのでしょう。

短いながらも長篇作品を読んだような
充足感があります。
短編小説というのは、
やはりこうでなくてはなりません。
味わい深い一篇です。
秋の読書に、ぜひご賞味あれ。

〔本書収録作品一覧〕
1984|極楽まくらおとし図 深沢七郎
1984|美しい夏 佐藤泰志
1985|半日の放浪 高井有一
1986|薄情くじら 田辺聖子
1987|慶安御前試合 隆慶一郎
1989|力道山の弟 宮本輝
1989|出口 尾辻克彦
1990|掌のなかの海 開高健
1990|ひよこの眼 山田詠美
1991|白いメリーさん 中島らも
1992| 阿川弘之
1993|夏草 大城立裕
1993|神無月 宮部みゆき
1993|ものがたり 北村薫

(2022.10.20)

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